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諏訪信仰とは何か〜全国的に珍しい祭や神事、祭神や特徴、歴史など解説〜

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諏訪信仰とは、長野県にある諏訪大社を中心とした信仰のことをいい、全国でも珍しい神事や命懸けの祭があるなど、独特な信仰があります。この記事では諏訪信仰について、特徴や祭神、代表的な祭祀、歴史などについてご紹介します。

 

 

諏訪信仰とは

 

諏訪信仰 鳥居 しめ縄  藁 神社 風景 鳥居 

 

諏訪信仰は長野県諏訪市にある諏訪大社を中心とした信仰のことをいい「全国神社祭祀祭礼調査」によると第6位の多さであり、日本全国でみられます。鹿児島県では南方神社という名前になっており、最も数が多いのは新潟県です。

 

諏訪大社の特徴

 

諏訪大社 神社 風景 

 

諏訪大社は単体の神社ではなく、4つの神社が集合したものです。上社と下社に分かれ、上社はさらに本宮と前宮、下社は秋宮と春宮に分かれており、上社が諏訪湖の南、下社が北にあります。

 

また、上社前宮以外には本殿がなく、上社本宮と下社ではご神体が御山、イチイの神木、スギの神木とされていることも特徴です。

 

諏訪大社の祭神

 

夕日 海 

 

諏訪大社の祭神は、上社本宮が建御名方神(たけみなかたのかみ)、前宮が八坂刀売神(やさかとめのかみ)、下社はどちらも八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)が祀られています。またこの建御名方神は『古事記』では大国主の子とされています。

 

地元の人々は「諏訪明神」や「お諏訪さま」と呼んでおり、軍神、狩猟の神、道祖神、農耕神などさまざまな性格を持っています。

 

そのなかでも珍しいのが狩猟の神という性格です。諏訪明神は、仏教が殺生として禁止する狩猟や肉食をする人々を救済する役割を持ち、現在でも「鹿食免」「鹿食箸」を参拝者に授与しているのです。

 

諏訪大社の特徴的な神事や祭

 

諏訪大社

 

諏訪大社では全国的にも珍しい神事や祭が継承され現在も行われています。

 

御柱祭

 

御柱祭 木 参拝 お祭り

 

諏訪大社では、死傷者もでる危険な祭「御柱祭」が有名です。この祭は6年に1度行われ、人を乗せたまま巨大な木の柱を坂から80メートルにわたって落とす「木落とし」や柱の上に人が乗ったまま巨木を立てる「建御柱」が行われ、祭のための準備は3年前からスタートするといいます。

 

狩猟儀礼にルーツがある蛙狩と御頭祭

 

狩猟儀礼 蛙狩 御頭祭

 

狩猟儀礼にルーツがあるとされる神事も行われています。「蛙狩」は正月に川の氷の中から蛙を取り出し、生贄にする「蛙狩神事」のことで、鎌倉時代にはすでに行われていました。

 

また4月15日に鹿の頭部(現在では剥製)と鹿肉が神前に献じられる「御頭祭」という神事もあり、さらに数多くの神饌が並べられた時代もありました。

 

遷座祭とお舟祭

 

遷座祭 お舟祭 夕日 朝日 風景

 

2月の遷座祭と8月のお舟祭は対になっており、2月には秋宮から春宮に神霊を神輿にのせて遷し、8月には反対に遷します。先祖の霊が秋には山に行って山の神となり、春には里に降りて田の神となることを表していると言われています。

 

8月の遷座が終わった後に、5トンの舟に翁とおうなの人形が乗せられて、男たちが船を引くクライマックスでは、祭は大きな盛り上がりをみせます。

 

御神渡り

 

御神渡り 諏訪湖 冬 氷 凍結

 

冬に諏訪湖が凍結した日が続くと、湖面が大音響とともに盛り上がります。これが南北にできると上社の祭神が下社の祭神に会いに行った跡とされ、御神渡りの神事が行われます。

 

諏訪信仰の歴史

 

諏訪信仰 諏訪大社 しめ縄 藁 紙垂 神社

 

諏訪信仰の中心地、諏訪大社が発展するのは奈良時代末期からといわれ、平安時代になると国の書物にも諏訪の神が登場するようになりました。詳しい記録が残っていない時期もありますが、縄文時代から現在までの歴史をみていきましょう。

 

諏訪地方の信仰のはじまりから中世

 

諏訪地方 信仰 しめ縄 藁 紙垂 太鼓

 

諏訪地方は文時代から黒曜石の産地としても有名で、原初的な信仰があったと考えられています。諏訪の神の由緒ははっきりしませんが、『古事記』で建御名方神が諏訪に逃げてきた神として書かれているので、外部から来た神との認識もあります。

 

諏訪大社が発展するのは奈良時代末期からといわれ、平安時代になると国の書物にも諏訪の神の名が登場するようになりますが、あまり詳しい記録は残っていません。謎のひとつに神仏習合の時期があり、諏訪大社に残る史料では13世紀末に上社の神宮寺が造営されたとの記録がありますが、全国的な神仏習合のブームからはかなり遅い時期と言われています。

 

また、全国的に珍しいのが「大祝」という神職です。中世にあらわれた「大祝」は領主でもあり、現人神として崇拝される存在でもあった歴史があります。

 

この大祝という位につくことのできた神氏、金刺氏を総じて「諏訪氏」といい、神職をつとめながら武士化していきました。諏訪氏は馬の放牧と騎射に優れ、源氏や北条氏、足利氏に仕えました。そのため諏訪氏が守る諏訪明神は「軍神」として、ほかの地域の武士の信仰を集め、広がっていきました。

 

また『諏訪大明神画詞』では、鎌倉時代にモンゴルが攻めてきた元寇の際に、諏訪大明神が大龍に化けて雲に乗って飛び、蒙古の大軍を退散させたというエピソードが描かれています。このことはより、軍神としてのイメージを強化したでしょう。

 

戦国時代以降の諏訪信仰

 

熊野神社 戦国時代 諏訪信仰 神社

 

中世では領主であり、現人神という珍しい存在だった大祝ですが、戦国時代には諏訪氏は宗家と大祝家のふたつに分かれ対立します。江戸時代になると、宗家が諏訪地方の藩主になったため、藩主諏訪家と大祝諏訪家に分かれ、政教分離が行われました。

 

さらに明治時代になると、神官の世襲が禁止され、大祝も廃止されます。新宮寺もなくなりましたが、多くの仏像は他の寺院などに移され、大切にされて今も残っています。

 

まとめ〜諏訪信仰は諏訪湖とともに発展した独特な信仰〜

 

夕日 川

 

諏訪大社を中心とする諏訪信仰は、現在でも独特な神事や祭を継承したまま、地元の人々や全国的にも崇敬されています。実際に上社や下社を巡ってみたり、祭を肌で感じると、昔から受け継がれてきたものの息遣いが聞こえてきそうですね。

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