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熊野信仰とは何か〜特徴や歴史、祭神、熊野古道について解説

神社 風景 鳥居 

熊野の山奥では古代から大自然への信仰がなされており、平安後期からの熊野詣のブームでは「蟻の熊野詣」とよばれるほど多くの人々が参詣したといわれています。そのような人々を惹きつけた熊野信仰とは一体いかなるものだったのでしょうか。

この記事では、熊野信仰の特徴や歴史、祭神、熊野古道についてご紹介します。

 

 

熊野信仰とは

 

熊野信仰 山 風景

 

和歌山県と三重県にまたがる大自然の熊野は古くから神秘の地と考えられており、そこでうまれたのが熊野信仰です。熊野信仰とは、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社の三社を合わせていう)を中心とする信仰のことで、平安時代末期の院政時代より流行しました。

 

熊野信仰の特徴

 

熊野神 熊野大神 熊野権現 神社 神宮

 

熊野の神は「熊野神、熊野大神、熊野権現」と呼ばれ、神道や仏教の権現信仰(権現とは、仏が化身して日本の神としてあらわれたもののこと)、修験道などさまざまな要素が融合しているため、複雑な側面があります。

 

とくに浄土信仰・観音信仰との深い関わりを持ち、現世も来世も含めて強力なご利益のあるパワースポットとして、貴族や武士、そして庶民にも広まっていきました。

 

全国の熊野社では「熊野牛王符(牛王宝印)」という護符を発行しており、病気平癒や厄除けなどのご利益があるといわれています。これは中世に盛んだった起請文(なにかを誓うときの紙)にもつかわれ、誓いを破ると神罰が下ると考えられていました。

 

総本山熊野三山と祭神

 

総本山熊野三山 祭神 神社 参拝

 

熊野三山には「熊野権現」という12柱の神様が祀られています。主祭神は「家都美御子大神(けつみこのおおかみ)」で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同体とされています。

現在では3つの神社がそれぞれの祭神を相互に祀っており一体感がありますが、かつては3社は別々に興ったものでした。

 

毎年7月14日に行われる那智大社の例大祭では、12所の神々を12の神輿に移して、那智滝まで運んでいく神事が行われます。

 

全国の熊野信仰

 

熊野神を祀る熊野神社、十二所神社は全国におよそ3000社あり、ほかの神社の境内社も含めると5000社にのぼると言われ、日本全国でみられます。

 

例えば、最も多くの熊野御幸を行った後白河上皇は、東山の三十三間堂の近くに今熊野権現を勧請して今熊野神社とし、さらに禅林寺の北にも、那智権現を勧請して新熊野社とました。

 

熊野信仰の由緒・歴史

 

熊野信仰 鳥居 神社 風景

 

熊野信仰は太古の昔の自然崇拝からはじまり、おもに中世の時代に日本最大の霊場として多くの人々から厚い信仰を受けました。

 

はじまりと平安後期のブーム

 

神社 鳥居 参拝

 

熊野の地名が最初にみられるのが『日本書紀』の伊弉冉尊(いざなみのみこと)の話であり、その後も『日本霊異記』には奈良時代の末期に仏教者が修行していたとの記録があります。

 

平安時代後期になると、浄土教の阿弥陀信仰が強まり熊野が浄土とみなされるようになったため、熊野権現への信仰がさかんになります。熊野信仰の火付け役になったのは、上皇や法皇などの「熊野御幸」であり、続いて貴族たちも盛んに熊野詣を行うようになりました。

 

最初の熊野御幸は、延喜7(907)年の宇多上皇の御幸でした。さらに約80年後の正暦3(992)年に花山上皇が、那智滝の上流で千日修行を行ったのち、西国三十三霊場の旅に出ました。これが西国三十三所のはじまりになったと言われています。

 

その後の院政期になるとますます盛んになり、白河院が9回、鳥羽院が21回、後白河院が34回、後鳥羽院が28回も熊野詣をおこなったといわれ、鎌倉時代まで熊野御幸は続きました。上皇たちの導き役となったのは、修験者でした。

 

当時は熊野=浄土とみなされており、末法思想が広まり恐怖に怯えるなかで、人々は現世と来世の安穏、極楽浄土を祈願して熊野詣を行ったのでしょう。

 

「蟻の熊野詣」から衰退、現代へ

 

蟻の熊野詣 神社 

 

室町・江戸時代になると民衆にもひろまり「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど、参詣者が絶えなかったといわれています。

 

民衆にひろめる役割を果たしたのが念仏聖や比丘尼、御師、山伏といった人々でした。また実際に熊野まで参詣できない人にも、熊野比丘尼が熊野参詣曼荼羅の絵解きをしながら来世への往生を広めたのです。

 

しかし、大勢の人で賑わった熊野詣も、江戸時代末期になると紀州藩による神仏分離政策により、布教を制限され、明治の神仏分離により衰退、さらに神社の合祀が進んだことにより熊野古道周辺の神社の数が激減し、熊野詣の風習もほとんどなくなってしまいました。

 

現代にいたり「熊野古道」は、熊野三山への参詣道、西国三十三所観音巡礼の道、または観光地として人々に親しまれています。

 

熊野古道とはいくつもある参詣道の総称

 

熊野古道 神社 世界遺産 

 

熊野古道は熊野三山へと通じる参詣道の総称のことをいい、道は三重県、奈良県、和歌山県、大阪府にまたがる広域さをもっています。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。

 

この古道の特筆すべきところは、熊野信仰という目的のために1000年以上も使われてきた道であることで、この道は寛治4(1090)年の白河上皇の御幸の際に、京都から熊野参詣のための道が整備されたことがはじまりといわれています。

 

現存するものは少ないですが、12〜13世紀に作られた九十九王子と呼ばれる熊野権現の末社が道中にあり、かつて参詣者はそこで休憩しながら熊野三山を目指したそうです。

 

まとめ〜熊野信仰は壮大な自然のなかで今も生きている〜

 

熊野古道 山 神社 階段 風景

壮大な自然の中で生まれた熊野信仰は、浄土や観音信仰と結びつき、日本最大の霊場として多くの人々の思いが集まった場所でもありました。

熊野詣の風習は廃れてしまいましたが、現在でも霊場として、また観光地として大切な場所となっています。もし機会があれば、実際に昔の人の思いを感じながら熊野詣に行ってみたり、身近にある熊野神社を探してみたりするのもいいかもしれません。

 

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