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祇園信仰とは何か?祇園祭や八坂神社の歴史を中心に解説

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祇園と聞けば、京都。日本三大祭でもある祇園祭や祇園にある八坂神社を思い浮かべる方も多いでしょう。それもそのはずで、八坂神社は明治以前には「祇園社」「祇園天神社」と呼ばれていました。この祇園社を中心に発展したのが祇園信仰であり、祇園祭とともに全国に広まっていったのです。この記事では、祇園信仰について、祇園祭や八坂神社を中心に説明します。

 

 

祇園信仰とは

 

八坂神社 祇園信仰 京都 鳥居 神社

 

祇園信仰とは、京都にある八坂神社を中心とした牛頭天王(ごずてんのう)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)に対する神仏習合の信仰のことをいい、総本山は、京都の八坂神社または兵庫県の広峯神社といわれています。

 

牛頭天王と素戔嗚尊

 

牛頭天王 素戔嗚尊 鈴 参拝

 

牛頭天王は祇園精舎の守護神であり、祇園精舎とはインドの寺院のことで、釈迦が説法を行った仏教の聖地でもあります。「祇園」の名前の由来はここにあるのですね。

 

この牛頭天王は荒ぶる神で、災いや厄を防いでくれるパワーがあります。そのイメージと日本古来の神である素戔嗚尊が神仏習合し、同一視されるようになったのです。

 

蘇民将来信仰と厄除け

 

粽 蘇民将来信仰 厄除け

 

八坂神社に入ると、正面に疫神社があります。これは蘇民将来を祀る社で、蘇民将来に縁のあるものは疫病にかからないという信仰によるものです。

 

祇園祭で八坂神社や山鉾町で授与される粽(ちまき)は厄除けの護符とされており、そこにも「蘇民将来子孫也」の文字が書かれています。

 

祇園信仰の中心・八坂神社の歴史

 

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現在の八坂神社は、素戔嗚尊を祀っていますが、明治以前までは牛頭天王を祀っており、名前も八坂神社ではなく「祇園社」と呼ばれていました。

 

これは明治時代の神仏分離の影響で、神社の祭神の名や社名に「牛頭天王」や「祇園」といった仏教語を使用することが禁止されたため、祇園社や牛頭天王社は素戔嗚尊を祀る神社となり、名前も鎮座地の名前から八坂神社となったことが影響しています。

 

実際に八坂神社を訪れてみると、四条通から入る入り口には鳥居がなく、仏教建築に近いたたずまいをした西楼門があり、現代でも神仏習合の名残が色濃くみえます。

 

祇園社(八坂神社)の起源にはふたつの説があります。ひとつは656年に高麗より来朝した伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を八坂郷に奉斎したことによるという説、もうひとつは876年に南都の僧円如がお堂を建てたという説です。   

 

祇園社が発展したきっかけは、元慶元(877)年の疫病流行に際して、祇園社に祈りが捧げられると、疫病の流行が止まったことからであり、その後も天皇や公家、町民からだけでなく、武家からも崇敬を集めました。

 

祇園祭とはどんな祭?

 

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京都の夏の風物詩である祇園祭。祇園祭は国の重要無形文化財に指定されており、京都や日本を代表とする祭です。現代ではきらびやかなお祭のイメージの強い祇園祭ですが、もともとは平安時代に成立した御霊信仰を背景に、疫病を防ごうとしたことがはじまりでした。

 

祇園祭は1ヶ月間行われる祭

 

祇園祭 山鉾巡行 山鉾 神社 お祭り

 

祇園祭は、山鉾巡行や山鉾に提灯の明かりがともされ「コンチキチン」の祇園囃子が奏でられる宵山が有名で、多くの人で賑わいますが、実は7月1日から31日までひと月かけて行われるお祭りなのです。

 

7月に入ると、巡行の順番を決めるくじ取りやお囃子、稚児の参社、宵山、山鉾巡行と進み、巡行のあとは神幸祭が行われます。

 

この神幸祭で登場する3基の神輿には、八坂神社の祭神である素戔嗚尊、櫛稲田姫命、素戔嗚尊の8人の子どもである八柱御子神が乗っています。氏子町内を巡ったあと、神輿は御旅所に入り、24日の還幸祭までそこにとどまります。

 

祇園祭の歴史

 

祇園御霊会 祇園祭 京都府 お祭り

 

祇園祭は、怨霊を鎮めるための「祇園御霊会」からはじまりました。当時は衛生状態も悪く、現代のように医療もないため、疫病は人々の命を脅かしました。

 

貞観11(869)年に天下に疫病が流行したため、朝廷の命令をうけた卜部日良麻呂が、諸国の数にちなんだ66本の矛を建て、神輿を神泉苑に祀り、祇園御霊会と称したことがはじまりとされています。

 

神輿の渡行は12世紀後半には行われており、楽器に合わせて田楽、獅子などが踊っていました。山鉾巡行のはじまりについては諸説ありますが、室町時代の公家の日記には毎年の祇園会に鉾が登場したことが記録されており、応仁の乱が起こる前には52基の山鉾があったそうです。

 

祇園御霊会は当初は祇園社が中心でしたが、次第に担い手が町衆へと変わっていき、町衆の成長とともに豪奢さが増していきました。

 

平安時代から続いた祇園祭は今まで幾度か中止されていますが、その度に再開され、現代に受け継がれています。例えば、応仁の乱の際には30年ほど、戦中戦後では5年間祭が中止になり、最近の例でいえば、2020年と2021年にも中止されました。

 

全国の祇園祭

 

祇園祭 お神輿 お祭り

 

祇園信仰は疫病退散のご利益や祭がセットであったことから全国に広がり、現代でも日本全国で祇園祭をみることができます。

 

全国の祇園祭のなかでもっとも名高いのが、福岡の「博多祇園山笠」です。これは博多区の櫛田神社の祭礼であり、室町時代に京都の祇園社から祭神を勧請し、やがて町衆が担い手になった祭といわれています。

 

他にも福島県会津の「田島祇園祭」、埼玉県熊谷市の愛宕神社に合祀されている八坂神社の「うちわ祭」、愛知県津島市津島神社の「天王祭」、福岡県北九州市の「戸畑祇園山笠」など多くの祇園祭をみることができます。

 

まとめ〜祇園信仰は今も続く祇園祭とともに広まった信仰〜

 

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祇園信仰は、疫病退散の御霊会からはじまり、京都の町民の手で守り伝えられてきた祇園祭とともに現代まで受け継がれ、日本全国に広がった信仰でした。実際に八坂神社や祇園祭を訪れる際には、1150年も続く歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

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