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稲荷信仰とは何か?特徴や歴史、狐や千本鳥居について解説

稲荷信仰といえば、白い狐と赤い千本鳥居をイメージする方が多いでしょう。伏見稲荷大社を総本山とした稲荷信仰は、もともとは穀物の神であったのが、さまざまなご利益を増やしながら、日本全国に広がっていきました。

この記事では稲荷信仰の特徴や歴史、狐や千本鳥居、祭りなどについてご紹介します。

 

 

稲荷信仰の総本山や祭神

 

 

稲荷信仰とは、京都市にある伏見稲荷大社を総本宮とした、さまざまなご利益がある神様であり、主祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたま)。五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、所願成就などの神様として全国各地で祀られています。

 

全国の稲荷神社

 

 

「全国神社祭祀祭礼総合調査」では、稲荷信仰に関係する神社は2970社となっていますが、これは主祭神として稲荷神を祀る神社の数であり、実際には小さい祠や神社や寺の境内の中にある神社など、全ての分祀社を含めると、最も膨大な数にのぼるのが稲荷社です。

 

実際に、ほかの神社の境内や末社として祀られている稲荷社も多く、鎌倉の鶴岡八幡宮には丸山稲荷社、湯島天神には笹塚稲荷が祀られているように、さまざまな場所にあります。

 

稲荷神社は日本全国に点在しますが、東日本に多い傾向にあり、これは江戸時代に江戸を中心に流行していたことが影響しています。

 

稲荷神とは

 

 

「稲荷信仰の主祭神は「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」であり、総本宮伏見稲荷大社には「宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神」の5神が祀られています。

 

宇迦之御魂大神は、五穀を司る神である豊受大御神と同一視され、大宮能売大神は神に供える神饌を取り扱う巫女を神格化したものというように、穀物に関係する神様の性格が強いことが現れています。

 

稲荷信仰の特徴

 

 

稲荷信仰の特徴として、稲荷信仰の種類がいくつかあること、シンボルのような狐と千本鳥居、くわえて稲荷山のお塚の存在があります。それぞれについてみていきましょう。

 

稲荷信仰の種類

 

 

稲荷信仰のかたちはさまざまで、宇迦之御魂大神を祀る神社の神道的な稲荷信仰もあれば、寺で荼枳尼天(だきにてん)を祀る仏教的な稲荷信仰、土地の所有者や氏子などが狐神や山神、福の神、御霊神などを祀る民俗的な稲荷信仰など、多様であることに特徴があります。

荼枳尼天とは、インドの神様のことで、真言密教と結びついて日本にやってきました。

 

稲荷信仰と狐

 

 

稲荷といえば、狐のイメージが強いでしょう。

狐を神様の使いとする信仰は平安時代頃からはじまり、そのルーツには害獣であるネズミを駆除してくれる、春に里へ降りてきて、秋に帰るからなど、たくさんの説があります。

稲荷神を描いた絵画にも白い狐が登場し、多くは稲荷神が白い狐にまたがっています。

 

稲荷信仰と千本鳥居

 

 

伏見稲荷大社や各地の稲荷社に建てられている千本鳥居ですが、江戸時代の絵図には描かれていないので、明治時代以降の神仏分離の影響が考えられています。

願いと感謝を込めて奉納された鳥居は1万基ほどあるといい、現在でも奉納が続いています。

 

また、鳥居をくぐった先にある稲荷山には「お塚」と呼ばれる石碑が膨大な数ありますが、これは神仏分離の際に、伏見稲荷では神号が稲荷大明神に統一されたことから、ほかの神名を刻んだお塚を建てて人々が拝んでいたことの現れなのだそうです。

 

稲荷信仰の歴史

 

 

稲荷信仰の歴史は総本山である伏見稲荷大社のある場所周辺で起こり、全国へ拡大していきました。

 

稲荷信仰の始まりから神仏習合の時代

 

 

最初の記録は『山城国風土記』逸文に、伊奈利という神が渡来人の秦氏により祀られていた伝承が書かれており、いなりの神は秦氏の神だったと分かります。また『延喜式』神名帳では和銅4(711)年に、秦氏が稲荷山に稲荷神を祀ったとあるので、これが現在の伏見稲荷大社のはじまりと言われています。

 

都が平安京に遷されると、秦氏が力を強め、さらに稲荷信仰は広まっていきました。また東寺建造の際に秦氏が稲荷山から木材を提供したため、東寺の守護神ともみられるようになり、結びつきを強めます。東寺と結びついたことにより、真言密教における荼枳尼天(だきにてん)と稲荷神が習合し、全国に広まることとなりました。 

 

伏見稲荷大社と東寺の強い結びつきが伺えるのが、平安時代から開催されていて、現在も行われている「稲荷祭」です。稲荷祭において伏見稲荷の神様は、神幸祭で神輿に乗って東寺の北東にある伏見稲荷大社御旅所に鎮座し、還幸祭でお帰りになります。還幸祭では御旅所を発った神輿の列が、東寺の東門前で読経を受けた後、氏子地域を巡ります。

 

室町時代の応仁の乱では、伏見稲荷大社は消失しましたが再建され、東寺の末寺である愛染寺が神宮寺として建てられました。

 

庶民に広まった江戸時代から現代

 

 

江戸時代になると、稲荷信仰が庶民に広まります。当時は、さまざまな地方からの武士が江戸に集まり、新たに開発された宅地に住みはじめた時期でした。その際に土地の神として稲荷神を祀り、それが屋敷神となり、大名や旗本から商人へと広まっていきます。

 

そして庶民も、自分達のすむ地域に共同で稲荷の小祠を作るなどし始めたため、江戸に多いものの例えとして「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」と呼ばれるほどに稲荷信仰は浸透したのです。

 

当初は穀物神である稲荷神でしたが、工業や商業、屋敷神と結びつき、武士たちは武運長久を、商人は商売繁盛を祈るようになり、ご利益が拡大します。

 

明治時代に入ると、神仏分離の影響を大いにうけ、境内の仏堂がすべて廃寺となり、多くの影響がでました。とはいえ、デパートの屋上や会社などで祀られているのが稲荷神であることや千本鳥居の奉納が今も行われていることからも、稲荷信仰が脈々と続いていることがわかります。

 

まとめ〜現在も身近にある稲荷信仰〜

 

 

稲荷信仰は秦氏の神で穀物の神からはじまりましたが、仏教の神と融合し、さまざまなご利益を持つ神として日本全国に広がっていきました。現在でも身近にさまざまなかたちで稲荷信仰は息づいていますので、身の回りのお稲荷さん、探してみてはいかがでしょうか。

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