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天神信仰とは何か?歴史やご利益、菅原道真について詳しく解説

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天神様ときくと、学業成就や合格祈願を思い浮かべる方も多いかもしれません。

しかし、天神信仰で祀られている菅原道真は、当初は恐ろしい神として認識されていたのです。

この記事では、天神信仰とは何なのか、天神様がどのような歴史をたどり、現在の人々に親しまれる姿になったのかについてご紹介します。

 

 

天神信仰とは菅原道真を祀る信仰

 

神社 風景 参拝 

 

天神信仰とは、菅原道真という歴史上の人物そのものを神として祀る信仰のことをいい、神社の数は全国で第3位と言われています。

 

天神信仰にかかわる神社は、天満宮、天神社、北野神社などがあり、太宰府天満宮と北野天満宮、大阪天満宮をあわせて3大天満宮と呼ぶこともあります。分社は九州や西日本に多い傾向があります。

 

もともとの天神信仰でいう天神とは、地神(くにつかみ)に対する天神(あまつかみ)であり、特定の神様を指すものではありませんでした。

 

それが平安時代以降に、菅原道真個人を神として祀る信仰を呼ぶようになったのです。

 

菅原道真が天神様になるまでの歴史

 

菅原道真 天神様 神社

 

菅原道真とは平安時代前半の人物で、承和12年(845年)に生まれ、延喜3年(903年)に亡くなっています。ここでは、菅原道真の生涯とその後についてみていきましょう。

菅原道真の幼少期から亡くなるまで

 

菅原家 歴史 神社

 

学問の家、菅原家に生まれた道真は、幼い頃から詩歌を詠み、朝廷や仏事の文章を作成するなど文人としても一目置かれる存在となっていきました。宇多天皇に重用され、権大納言、右大臣とどんどん昇進していきますが、ある日突然、太宰府に左遷されてしまいます。

 

この左遷の背後には、醍醐天皇と宇多上皇との対立や道真の出世への嫉妬などが渦巻いていたといわれていますが、確かなことは分かっていません。

 

道真は左遷から亡くなるまでの3年間、仏事と詩作の日々を送り、亡くなった時点では、怨霊などとは言われていませんでした。

 

怨霊になった菅原道真

 

雷 

 

ところが、道真の死から5年後、ライバルといわれている藤原時平が病死し、その後も疫病や渇水、洪水などが都を襲います。

さらに、皇太子の保明親王(時平の妹と醍醐天皇の間に生まれた子)が亡くなったことを受けて、道真の位をもとに戻し、左遷の詔を破棄しますが、災いは収まりません。

 

そして、御所の清涼殿に落雷があり、道真の左遷に関わったとされる人物をはじめ、多くの死傷者がでた事件から、道真が雷の神と結びつきます。都の人々にも道真の怨霊の話は広まり、恐れられることとなりました。

 

このような現象を御霊信仰といい、日本古来から存在します。恨みを残して死んだ者が怨霊となって、生きている人間に不幸をもたらすので、それを慰め、お祀りするという考え方です。

 

道真の場合も、太宰府に左遷され、そこで亡くなった無念さが祟りを起こすと考えられました。

 

そのため朝廷は、道真を神として祀ることを決め、すでに雷公として信仰されていた天神が祀られていた北野の地に新たに社殿を建立しました。これが今日の北野天満宮です。

 

さらに、太宰府にある、道真が埋葬された安楽寺の場所にも社殿が建てられ、のちの太宰府天満宮となりました。

 

恐ろしい神から、ありがたい神へ

 

絵馬 お祈り 願いごと

 

当初は恐ろしい祟り神、怨霊神として祀られていた道真でしたが、時間が経つにつれて、道真の生前の行いが注目され、ありがたい神として信仰されるようになりました。

 

そのご利益はいくつもあります。

 

学業の神・文学の神・詩文の神

 

菅原家は学問の家であり、道真はとくに優秀であったこと、北野天満宮が菅原家の管轄に置かれたことなどから、北野天満宮は学問の聖地と認知されていきます。

 

また、鎌倉や室町時代になると、連歌の会なども開かれ、江戸時代では寺子屋に学問の神として道真の肖像がかけられるようになりました。

 

書道の神

 

生前の道真が能書家であったという話は実は残っていませんが、書道の神としても認識されています。江戸時代の寺子屋で、書道の神、手習の神として祀られたことから浸透しました。

 

雷の神から農業の神へ

 

清涼殿落雷事件などから雷神として恐れられる存在でもありますが、雷は稲の実りを促す作用があります。

近年の避雷針の普及による雷の被害の減少に伴い、農業神という側面が強くなったともいえます。

 

正義の神・雪冤の神

 

平安時代の漢詩人で、文章博士であった橘直幹が無実の罪で流されようとしたとき、北野に参籠して罪を免れた逸話から、冤罪にあった人間を救う神、また鎌倉時代以降は、正義の神、国家鎮護の神、往生念仏を守護する神など、正義の神様とも考えられています。

 

天神信仰と関係の深い牛と梅

 

鶯 梅

 

天満宮といえば、牛と梅をイメージする方も多いでしょう。天神様には牛と梅と深い関わりがあります。

 

牛と天神信仰の関係

 

牛 天神信仰 神社 

 

天満宮などに行くと、横たわった牛を目にすることは多いでしょう。理由のひとつは、天神の使いとされているのが牛だからです。天神はのちに大自在天となって祀られましたが、大自在天は、もともとはヒンドゥー教のシヴァ神のことで、シヴァ神は牛に乗ったものとして描かれているためです。

 

また、道真の生まれた日も亡くなった日も丑の日だったことや、道真が亡くなり墓に埋葬しようとした際に牛車に乗っていましたが、途中で動かなくなり、そこにあった寺が現在の太宰府天満宮になったことなどが理由とされています。

 

梅と天神信仰の関係

 

梅 天神信仰 神社 絵馬 願い事

 

各地の天満宮は梅の名所ですよね。

またよく見るとわかりますが、天満宮は社紋が「梅紋」なのです。例えば北野天満宮は「星梅鉢」、太宰府天満宮は「梅花」、湯島天神は「梅鉢」、道真の子孫と称している、加賀前田家では「加賀梅鉢」が家紋となっており、梅との大きな関わりがあります。

 

なぜ梅なのかは諸説ありますが、「飛梅伝説」といって、道真が太宰府に左遷される際に、邸宅に植えてあった梅の木と別れるのを惜しんでいたところ、その梅の木が一夜のうちに空を飛んで太宰府まで行ったという伝説があります。

 

さらに臨済宗の僧・円爾(えんに)の夢に道真が現れて、それにまつわる絵を描かせたところ、道真が梅の枝を持っていたためそのイメージが広がったという説もあります。

 

「25」は天神信仰にとって大事な数字

 

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道真の誕生日が6月25日、命日が2月25日であったことから「25」は天神信仰にとって大事な数字とされています。そのため毎月25日が例祭のところが多いのですね。

とくに1月25日の「始め天神」「初天神」、12月25日の「終い天神」は多くの人で賑わいます。

 

まとめ〜恐ろしい神からありがたい神へ、今日も日本中で親しまれる天神様〜

 

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当初は祟り神として恐れられていた菅原道真ですが、天神と融合し、天神信仰となって人々に親しまれる存在となりました。身近に天神様がいらっしゃったら、例祭や参拝に行ってみてはいかがでしょうか?

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