伊勢信仰とは、伊勢神宮を中心とした信仰のことをいい、全国的に信仰されています。伊勢神宮の歴史は天皇から庶民まで幅広く関わりがあり「伊勢参り」や「お蔭参り」などの特徴的なムーブメントも起こりました。
この記事では、伊勢神宮や伊勢信仰にまつわる歴史を中心にご紹介します。
目次
伊勢信仰とは
伊勢信仰とは三重県伊勢市にある伊勢神宮を中心とする信仰のことをいいます。
伊勢神宮には内宮と外宮があり、内宮は正式には「皇大神宮」と呼ばれ、皇室の祖先とされる天照大御神を祀り、外宮は「豊受大神宮」と呼び、豊受大御神を祀っています。
また、この内宮と外宮のほかに、別宮、摂社、末社、所管社といった関係の深い神社が、伊勢市や周辺にあり、広い意味ではこれら125社すべてをさして伊勢神宮と呼ばれることもあります。
このような伊勢神宮を総本社として、伊勢周辺以外の場所で天照大御神を祀る神社を神明社、神明宮などと呼び、全国に分布しています。
伊勢神宮関係の神社は全国に4425社(「全国神社祭祀祭礼総合調査」より)あり、最も多い八幡信仰の次に多い信仰でもあるのです。
天照大御神が祀られている
伊勢神宮に祀られている天照大御神は、日本の神々の世界において中心をなす存在であり、皇室の祖先である皇祖神、太陽の神様でもあります。
天照大御神の誕生は『古事記』のなかで語られており、伊邪那美命を追って黄泉の国に入った伊邪那岐命が、黄泉の国から帰ってきた際、穢れを落とすために洗った左目から生まれたといわれています。
伊勢神宮が伊勢にある理由
天照大御神はもともと天皇のいる大和にお祀りされていたそうですが、垂仁天皇の娘である倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神の魂が宿るとされる八咫鏡(やたのかがみ)を鎮座させる場所を探して、国々を巡りました。
最終的に美しい国伊勢に鎮座することが決まり、伊勢神宮が創建されていくこととなります。
伊勢信仰の歴史
伊勢神宮が実際にいつ創建されたのかは明らかではありませんが、伊勢の地に伊勢神宮が鎮座してから現在に至るまでの歴史をみてみましょう。
伊勢神宮と神仏習合
神仏習合は平安時代頃から一般的であり、伊勢神宮にも境内に真言宗の祈祷所があったり、伊勢神官が仏教を信仰したりなどはありましたが、境内にあった神宮寺が移転されるなど、仏教との習合には他の神社よりも積極的ではなかったと考えられます。
とはいえ、神仏習合は伊勢神宮においても浸透し、本地垂迹説(日本の神々は仏教の仏が地上にあらわれたものだとする)では、天照大御神は観音菩薩や大日如来が本地仏とされていました。さらに密教の立場から「両部神道」の思想があらわれ、伊勢神宮の内宮が胎蔵界、外宮が金剛界にたとえられると、それに伴い、参詣曼荼羅も描かれました。
このように神仏習合や朝廷の力のおとろえによって、鎌倉時代ごろになると、伊勢信仰は広い層の人々に開かれていくこととなります。
お伊勢参り・お蔭参りのブーム
伊勢信仰を広めるのに大きな役割を果たしたのが「御師」という人々です。御師は京都に住む貴族の祈願や奉幣を神官に取り次ぐ役割の人で、平安時代中期に出現し、明治に入り廃止されるまで活躍した存在でした。
御師は伊勢参詣のガイドとして宿の世話をする、貴族のもとで参詣曼荼羅を掲げ、その前で祈ることで参拝した代わりとする事業などを行っていました。御師が取り次ぐ奉幣は京の貴族から、武士階級へと広がり、次第に庶民にも広がっていきます。
このような御師の仲介による伊勢神宮の参拝が一般化していくと「伊勢参り」と呼ばれ、江戸時代にはかなり盛んに行われました。さらに内宮は商業の神、外宮は農業の神として現世利益を与える性格を持ち、伊勢神宮はより親しまれるようになります。
さらに、伊勢参りがブームになると「伊勢講」のような組織が作られました。伊勢講は、伊勢参りに必要な費用をメンバーが出し合い、毎年くじ引きで参拝者を決めるというものです。
もうひとつ、江戸時代に特徴的に行われていたのが「お蔭参り」です。お蔭参りは、伊勢講のように準備をせず、ふらっとそのままの格好で伊勢参りにでかけるというもの。
お蔭参りをする人びとは、手ぶらで伊勢を目指しましたが、伊勢神宮へと至る街道に住む人々が、食事や銭、伊勢参りの格好である白衣などの持ち物を恵むという流れができていました。施しをする方にも功徳がもたらされるとされていたため、街道の人々も積極的に支援したのです。
このお蔭参りにはブームの年があり、大勢の人々が伊勢にお参りしました。最初のお蔭参りは慶安3年(1650年)であり、2100人が関所を通り、文政13年(1830年)には457万人の参詣者がいたとも記録されています。
明治以降に形作られた現在の伊勢神宮のイメージ
江戸時代までは「お伊勢さん」として庶民にも親しまれていた伊勢神宮でしたが、明治時代に入ると、政府は皇祖神を祀る神聖な場所としてのイメージを国の側から作っていきます。
しかし、戦後には政教分離で宗教法人となり、再びお伊勢さんとして人々に開かれ、参拝者や観光客などでにぎわう場所となっています。
また、伊勢講などの組織は人々のつながりの組織として残っている地方もあり、伊勢神宮から授与される「神宮大麻」は日本全国の神棚に飾られています。形を変えながらも脈々と続いているのが伊勢信仰なのですね。
まとめ〜伊勢信仰は伊勢神宮を中心として全国にある信仰〜
伊勢信仰は皇祖神である特別な位置付けからはじまり、神仏習合、御師の活躍を経て、江戸時代には伊勢参りがブームになるほど庶民にも開かれた存在でした。明治時代に入って一時その歴史は断絶したものの、現在でも神聖かつありがたい存在として人々に親しまれています。