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三島・大山祇信仰とは何か〜祭神や神社、歴史を解説

三島 大山祇信仰 風景 海

三島・大山祇信仰とは、愛媛県にある大山祇神社と静岡県にある三嶋大社を総本社とする信仰で、海の神、山の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から崇敬を集めていました。

この記事では三島・大山祇信仰の祭神や歴史、神社についてご紹介します。

 

 

三島・大山祇信仰の祭神

 

三島 大山祇信仰の祭神 神社 寺 風景

 

三島・大山祇信仰は、愛媛県今治市にある大山祇神社と静岡県伊豆市にある三嶋大社を総本社とする三島神社の信仰です。祭神が同じなのでひとまとめにして「三島・大山祇信仰」と呼ばれています。

 

祭神は、大山祇神社では大山祇神であり、三嶋大社では大山祇神に加えて、積羽八重事代主神(つみはやえことしろのぬしのかみ)の2柱の神を祭神としています。 

 

大山祇神は「大山積神」「大山津見神」とも表記され、『古事記』において伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の間に生まれたと言われています。

 

また『日本書紀』において大山祇神は、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の父親。木花咲耶姫は天孫降臨ではじめて地上に降り立った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻であるので、日本人の総氏神「日本総鎮守」と呼ばれることもあります。

 

大山祇神は「大いなる山の神」という意味で、山の神はその山周辺に暮らす人々にとっての神様でした。ゆえに農業や田の神、木こりや鉱山の神など広い意味合いがあります。

 

さらに『伊予国風土記』逸文では、大山祇神は和多志大神(渡司大神・わたしおおかみ)という別名で登場します。「わた」は海を意味する古語で、海の神でもあるのです。

 

それもそのはずで、大山祇神社のある場所は、瀬戸内海の芸予海峡に浮かぶ大三島であり、古くから西日本と近畿を結ぶ交通の要衝でした。漁師や水軍にとっても海上交易の守護神であり、戦いの神として崇敬されていたのです。

 

大山祇神は「三島大明神」とも呼ばれ、三島神社は四国を中心に新潟県や北海道まで分布しています。

 

大山祇神社の歴史と特徴

 

大山祇神社の歴史と特徴 大山祇神社 広島県 しめ縄 紙垂 

 

大山祇神社は、広島県と愛媛県を結ぶしまなみ海道のほぼ中心部に位置する大三島にあります。ここでは大山祇神社の歴史や見どころをご紹介します。

 

大山祇神社の歴史

 

大山祇神社の歴史 神社 風景 

 

大山祇神社はかつては大三島神社と呼ばれており、創建は大山祇神の子孫である小千命(おちのみこと)が大三島に勧請した、百済から渡来して摂津国の御嶋に鎮座した後、現在の場所に勧請されたなど、諸説ありはっきりしていません。

 

文字史料の初出は、天平神護2(766)年であり、神階や神戸(神社直属の民)を与えられたとの記録があります。また平安時代に成立した『延喜式』神名帳では名神大社に列せられています。

 

中世からは伊予国の一宮とされ、朝廷から「日本総鎮守」の号が下賜されました。中世の中頃に瀬戸内海を支配した村上海賊も大山祇神社を崇め、武運や海上交通の安全を祈ったといいます。

 

明治時代に入ると、大山祇神社と呼ばれるようになり、日本の初代総理大臣伊藤博文が参拝し、その際にクスノキを植樹するなど、著名人の参拝も多く行われました。現在でもFC今治が必勝祈願に訪れるなど、パワースポットとしても有名です。

 

大山祇神社のクスノキ群

 

大山祇神社のクスノキ群 神社 しめ縄 木 

 

大山祇神社の境内や周辺には「大山祇神社のクスノキ群」として国の天然記念物に指定されている数多くの古木があります。原生林の名残が感じられ、うち38本が天然記念物に指定されています。

 

代表的な「乎千命御手植の楠」は神社の境内の中央にあり、樹齢2600年といわれます。

神池近くにある「能因法師雨乞いの樟」は、伝承樹齢は3000年。日本最古の楠と呼ばれていますが、18世紀に枯死してしまいました。1066年の大旱魃の際に、能因法師がこの木に布帛をかけて雨乞いを行ったことが名前の由来です。

 

また「生樹の御門」は、樹齢は2000〜3000年と伝えられており、自然にできた空洞をくぐって奥の院へとお参りします。奥の院はかつての神宮寺であり、阿弥陀堂と仏足石があります。

 

大山祇神社のしめ縄

 

大山祇神社のしめ縄 紙垂 神社 太い 

 

大山祇神社のしめ縄は大根じめと呼ばれる形をしており、通常の神社とは逆向きにつけられています。

 

一般的な神社では、神様からみて左が上とされており、しめ縄の綯い始めの太い部分が神様からみて左(向かって右)に取り付けますが、大山祇神社は逆向きに付けられています。これは出雲大社などと同じです。

 

大山祇神社の宝物

 

大山祇神社の宝物 神社

 

大山祇神社には、源氏・平氏をはじめ多くの武将が武具を奉納して武運長久を祈ったため、国宝・国の重要文化財に指定されている日本の武具類が集まっています。これらの武具類は、紫陽殿と国宝館に収納・公開されています。

三嶋大社の歴史や特徴

 

三嶋大社の歴史 特徴 神社 しめ縄 藁 風景

 

伊豆にある三嶋大社は、大山祇神社から大山祇神を勧請したという説もありますが詳しいことはわかっていません。史料にはじめてみられるのが奈良時代の天平宝字2(758)年なので、それ以前の創建と考えられます。

 

中世に入ると、三嶋社は伊豆国での一宮、総社となります。治承4(1180)年には源頼朝が挙兵直前に三嶋社への奉幣を命じるなど、戦の前に戦勝祈願に三嶋社を拝んでいました。

 

その後も鎌倉幕府の将軍や御家人は箱根路を通る際に三嶋社を参詣し、南北朝、室町時代にも戦勝祈願などで参拝しました。戦国時代には当地を治めた後北条氏の保護を受け、江戸時代にも江戸幕府が寄進をするなど、崇敬を受けました。

 

そして、明治時代には官幣大社に列せられ三島神社と称し、戦後は「三嶋大社」となっています。

 

おわりに〜三島・大山祇信仰は古くから崇敬を集めた〜

 

三島・大山祇信仰とは何か〜祭神や神社、歴史を解説

 

愛媛県の大三島にある大山祇神社と伊豆の三嶋大社を中心とする三島・大山祇信仰は、古くから山の神、海の神、武運の神として多くの人々に崇敬されてきました。大山祇神社のクスノキや宝物などもとても見どころがありますので一度訪れてみてはいかがでしょうか。

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