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春日信仰とは何か?〜藤原氏や興福寺、鹿との関係、祭神や歴史を解説〜

春日信仰 神社 参拝

春日信仰とは、奈良にある春日大社を総本社とした春日神への信仰です。春日神は藤原氏の氏神であり、平城京鎮護の守護神でもあります。

 

この記事では、春日信仰の特徴や祭神、歴史と春日信仰にゆかりの深い、藤原氏、興福寺、そして鹿についてご紹介します。

 

 

春日信仰とは

 

春日信仰

 

春日信仰は神社本庁による「全国神社祭祀祭礼総合調査」(1990〜1995年)において、第11位。全国に1000社以上ある神社信仰です。

 

春日信仰の特徴と祭神

 

春日信仰 春日神 神 春日権現 神社

 

春日の神様は「春日神」「春日明神」「春日権現」と呼ばれます。

 

この神様の正体は「武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)」です。

 

春日大社の社殿は、同じ形で同じ大きさの4棟が立ち並ぶ「春日造」と呼ばれる建築様式をしており、ここに4柱の神様が祀られています。

 

4柱のうち、武甕槌命は常陸国の鹿島神宮から、経津主命は下総国の香取神宮から勧請されました。

 

また、天児屋根命は、日本神話の天岩戸隠れの場面に登場する神であり、中臣連(なかとみのむらじ)の祖神にあたります。中臣とは大化の改新で有名な中臣鎌足の氏族をいい、中臣鎌足がのちに藤原鎌足となりました。つまり、天児屋根命は藤原氏にとっての氏神になるのです。

 

さらに天児屋根命の妻にあたるのが比売神で、春日大社本殿の近くにある若宮神社に祀られている「天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)」が子どもに当たるので、5柱のうち3柱が藤原氏の氏神ということになるのですね。

 

鹿との関係

 

春日信仰 鹿

 

奈良公園の一部は春日大社の境内でもあり、鹿が多いことで有名ですが、なぜだかご存じでしょうか。

春日大社の祭神の武甕槌命が常陸国の鹿島神宮から、鹿に乗ってやってきたという言い伝えがあり、古くから鹿は神様の使いとして大切にされていたのです。

 

重要文化財にも指定されている「春日鹿曼荼羅」には、春日神の使いとされる鹿の姿と本地仏などが美しく描かれています。

 

春日若宮神社とおん祭

 

春日信仰 おん祭 お祭り

春日大社本殿の近くにある若宮神社は、保延元(1135)年に社殿が建てられました。大雨洪水が続き、疫病が流行したため、それを鎮めるためでした。

 

若宮の御神助を願い、翌年春日野に御神霊をお迎えして丁重な祭祀を行いましたが、これが現在でも有名なお祭りである「春日若宮おん祭」のはじまりとされています。

 

春日信仰の歴史

 

春日信仰 神社 風景

 

春日信仰の歴史を、春日大社や藤原氏、興福寺との関係などからたどっていきましょう。

 

春日大社の起源

 

春日大社 春日若宮 神社

 

春日大社の社殿ができる以前は、御蓋山(みかさやま)がご神体だったと考えられています。天平勝宝8(756)年の絵図によると、神事を行う場所が木々に囲まれた「神地」として描かれており、社殿はありませんでした。

 

春日大社所蔵の「春日大社御本地並御託宣記」によると、春日大社は神護景雲2(768)年11月9日に創建したと記録されています。

 

創建にあたって、左大臣藤原永手が常陸国の鹿島神宮から武甕槌命を、下総国の香取神宮から経津主命を、東大阪にある平岡神社から天児屋根命と比売神を勧請して祀るようになったと言われています。

 

藤原氏との関係

 

春日信仰 藤原氏 つつじ

 

藤原氏は娘を天皇に嫁がせることで外戚関係になり、摂政や関白の地位を独占することで長い間貴族社会において大きな影響力を持っていました。

 

春日大社に社殿ができると、藤原氏の人々は家の繁栄を願って「春日詣」をするようになります。行列を組んで春日大社へ詣で、御幣や鏡、剣などを奉納し、荘園を寄進するなどしました。

 

天皇が都の外へ詣ることはあまりないのですが、藤原氏の権力が強かった時代には、一条天皇と御一条天皇も春日へ参詣しています。

 

このような藤原氏の絶大な地位は、春日神の地位を高めることにもつながりました。

 

興福寺との関係

 

興福寺 神社 寺 風景

 

春日大社と切っても切り離せない関係にあるのが、隣接する興福寺です。興福寺は藤原氏の氏寺でもあり、膨大な領地を寄進されました。

 

藤原氏や春日大社、興福寺の力が強くなると、大和国全体が春日大社の神領となり、春日大社を興福寺が支配するようになります。つまり藤原氏が氏神と氏寺を使って、大和国を手中におさめたことを意味しました。

 

神仏習合の時代

 

神仏習合 神社 風景

 

平安時代末期の神仏習合の時代になると春日大社の神と興福寺の仏が対応関係になります。

 

武甕槌命の本地仏である釈迦如来が、興福寺の中金堂の本尊、経津主命の本地仏である薬師如来と不空羂索観音は、それぞれ東金堂の本尊、講堂から南円堂に移されて祀られたもの、といった具合に、はっきりとした対応関係にありました。

 

この両者の融合により「春日参詣曼荼羅」が生み出されます。

春日曼荼羅は御蓋山を背景にして、春日大社の境内を描き、本地仏や浄土などが描かれているものです。

 

平安京に住む藤原氏に属する貴族たちは頻繁に春日詣ができるわけではなかったため、彼らが自宅で礼拝を行い参拝したかわりにするためにこの曼荼羅が用いられたのです。

 

明治時代の神仏分離の影響

 

神仏分離の影響 明治時代 

 

以上のように春日大社は、重要な神社として崇敬され、鎌倉時代以降に成立した「三社信仰」に、伊勢神宮、石清水八幡宮とともに選ばれ、最も重要な神社とみなされていました。

 

また、室町時代には3代将軍足利義満が篤く信仰したほか、戦国大名のなかにも春日神を勧請することで藤原氏との結びつきを示す者もいました。

 

こうして近世まで強い影響力を持ち、広がりをみせた春日信仰でしたが、明治時代の神仏分離によって大きな打撃をうけます。

 

神仏分離によって春日大社からは仏教色がなくなり、仕えていた社僧たちは神官となりました。春日大社は皇室ゆかりの官幣大社に列せられたものの、規模は縮小され、興福寺領だった春日山も奪われることとなります。戦後には返還されましたが、境内地も奪われたほどでした。

 

一方、悲惨だったのは興福寺で、膨大な境内地を奪われ、廃寺同然の状況まで追い込まれ、貴重な文化財が失われました。

 

まとめ〜春日信仰の歴史を奈良で感じてみよう〜

春日信仰は、奈良時代から藤原氏や興福寺とともに大きな勢力を誇った春日大社とともにありました。

春日大社の貴重な宝物は春日大社国宝殿や奈良国立博物館で見ることができます。ぜひ、奈良公園の自然の中を歩き、鹿に見つめられながら、歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

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