しめ縄は日本神話の天岩戸隠れがはじまりといわれており、神話では「尻久米縄(しりくめなわ)」と呼ばれていました。この他にもしめ縄に使われた漢字も何通りかあり、蛇が関わっている説もあります。
この記事では、しめ縄の由来を神話や漢字などから紐解いていきます。
しめ縄の意味
しめ縄は、神様のいる神聖な領域と私たちのいる俗世とを隔てる境界の意味、御神木や巨石、御旅所など神様の宿る場所や依代(よりしろ)をあらわす意味、そして災いやよくないものが入ってこない、または出ていかないようにする結界としての意味が主なものです。
これらの意味を持つしめ縄は、どこからはじまり、どんな由来があるのでしょうか。
しめ縄の由来となった神話「天岩戸隠れ」
しめ縄の起源は日本神話にあり、『古事記』に書かれている「天岩戸隠れ」がはじまりといわれています。
その神話の内容を簡単に説明すると、天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に困り、天岩戸へ隠れてしまい、世界が闇に包まれ混乱が起こりました。そこで、神々は賑やかな宴を催し、天照大神がのぞこうと岩戸から顔を出した際に、天手力男神(あまのたじからお)が引っ張り出します。そこで布刀玉命(ふとだまのみこと)が「尻久米縄(しりくめなわ)」を張り、岩戸へ二度と戻れないようにしたという話です。
ここではしめ縄が「尻久米縄」と書かれています。では尻久米縄とはどのような意味なのでしょうか?
漢字から見るしめ縄の由来
語源に着目すると、しめ縄にもいくつかの漢字があてられており、若干意味が違っていることがわかります。
『古事記』にあった「尻久米縄(しりくめなわ)」の「尻」とは端のことで「久米」は「出す」の意味。わらのしりを切り捨てないでそのまま渡した縄ということです。その後「りく」が省略されて「しめ縄」になったという説もあります。
しめ縄を変換した際に出てくるのが「注連縄」。この表記は中国からきたもので、「注連」は死者の出棺後に、家の入口に清めの水を注いだ縄を連ねて張り、死者の霊魂が戻ってこないようにする風習があったことが由来しています。
これに近いものが日本にも残っていて「勧請縄」と呼ばれるもの。勧請縄は村の境目や出入り口に吊るす縄で、村に悪霊や疫病が入らないようにする目的があります。この勧請縄には、人形やわらじ、草などの呪物がつけられています。
他にも「七五三縄」「標縄」「〆縄」「占縄」という表記がみられます。
「占縄」と「〆縄」は、神が占有する場所や聖域を示します。「万葉集」に見られる「標縄」も「占縄」と同じ意味で、一般人の立ち入りを禁じ、皇室や貴人が占有した野を「標野」といったことからも推察されるでしょう。
また、「七五三縄」は、しめ縄の太い縄からしめの子と呼ばれる藁を7本、5本、3本と垂らすことや陰陽道の考え方から753は陽数で、神聖な場所に陰の気が入らないようにする意味がありました。
これらの成り立ちから、現在の一般的であるしめ縄の意味が形作られていったのでしょう。
しめ縄の由来は蛇?
もうひとつ、しめ縄の由来として考えられているのが、「蛇」をルーツにしているという説です。
しめ縄は縄を撚り合わせてつくるため、2匹の蛇がからまった姿、つまり「蛇の交尾の姿」ではないかといわれているのです。
日本には古くから蛇信仰がありますが、それは蛇の生命力と毒、強さ、脱皮をするという再生力に人々が注目していたからでしょう。
縄文土器にも蛇の模様が描かれているものがありますし、現在も栃木県下野市の星宮神社や宮崎県都城市の白龍神社では蛇を表したしめ縄がつけられています。
しめ飾りの由来
お正月の「しめ飾り」はしめ縄が派生したもの。
しめ飾りはお正月に歳神様をお迎えする目印になるほか、家の中が清浄であると示したり、家の中に邪悪なものが入ってこないようにしたり、神様の依代になったりする意味もあります。
しめ飾りはもともと、お正月に家の周りにしめ縄を張り巡らせて邪気をはらっていたものでしたが、次第に縁起物のお飾りをつけるようになりました。
それぞれの縁起物には「子孫繁栄」や「長寿」「開運」などの願いが込められており、現代ではおしゃれなものも登場しています。
まとめ〜しめ縄は神聖な力を持つ、特別な縄〜
神話がはじまりといわれているしめ縄ですが、縄文土器があるように人々は縄文時代から縄を撚っていました。それに蛇の信仰や中国の思想、漢字の意味や豊作祈願をする人々の思いなどが合わさり、現在の意味につながっていると考えられます。
しめ縄の由来にも壮大な歴史がつまっているのですね。