お正月のしめ縄(しめ飾り)は通常、松の内が終われば外されますが、1年中飾られている地域があることをご存じですか?この記事では、しめ飾りを1年中飾る伊勢地方の風習を中心に、しめ縄の意味やなぜ1年中飾るのか、さらに伊勢地方以外での1年中飾る地域についてご紹介します。
伊勢地方ではしめ飾りを1年中飾る
三重県の伊勢地方ではしめ飾りを1年中飾る風習があります。まずは一般的なしめ縄の意味と飾る期間をおさえた上で、伊勢地方のしめ飾りの特徴をみていきます。
しめ縄の意味と一般的な飾る期間
しめ縄は神様のいる神聖な場所をあらわします。神様のいる領域と私たちの暮らす俗世とを隔てる境界としての意味や、神様が宿る依代(よりしろ)を表し、災いやよくないものが入っていかないようにする魔除けや結界としての意味も持ちます。
神社などのしめ縄から派生したのがお正月に飾るしめ飾り。歳神様をお迎えする目印であり、家のなかが清浄になり、神様をお迎えする準備が整ったことを示したり、邪悪なものが入ってこないようにといった意味があります。
しめ飾りや門松などお正月の飾り物は、松の内が終われば外されます。松の内は、神様が滞在されている期間のことで、地域によって異なり、例えば、関東地方や北海道では1月7日まで、関西地方は15日までのところが多いと言われています。
伊勢地方のしめ縄の形と特徴
伊勢地方のしめ縄は独特な形をしています。大根のような形に太く綯ったしめ縄に前垂をつけたものをベースに、他の地域ではあまりみない「木札」と裏白やゆずり葉、橙(だいだい)などが飾りとしてつけられています。「木札」には「蘇民将来子孫之門」または「笑門」と書かれています。
なぜ1年中飾るのか?
伊勢地方のしめ縄には「蘇民将来」という昔話が関係しています。
昔話の内容を以下で簡単にお伝えします。
昔、伊勢神宮に近い、二見浦のそばにある里に「蘇民」と「巨旦(こたん)」という兄弟がいました。
あるとき素戔嗚尊(すさのおのみこと)が伊勢を旅しており、泊まるところを探していました。裕福な巨旦には断られましたが、貧しい蘇民はあたたかくもてなしたそうです。
その夜、素戔嗚尊は藁で作った縄で蘇民の家をぐるりと囲みます。翌朝、村には悪い疫病が広がっており、村中で蘇民将来の家だけが助かったそうです。素戔嗚尊のしめ縄が疫病から蘇民将来を守ったという話から、「蘇民将来子孫家門」と書いた札をしめ縄に下げて、一年中戸口に飾るようになったといいます。
ちなみに蘇民将来の逸話には、他の地域にも似たような話が伝わっており、素戔嗚尊が自らしめ縄を張ったのではなく、「蘇民将来の子孫と書いて、茅の輪を門口にかけておけば子孫代々病を免れる」、「疫病を逃れるために、茅の輪を腰につけなさい」と忠告して去っていったという話もあります。
「蘇民将来子孫之家門」と並んでポピュラーな「笑門」という文字は何を意味するのかというと、蘇民将来子孫之門が短くなって「将門」となったものの、「平将門」と混同してしまうため「笑門」になったといわれています。
伊勢地方の他にもあった、1年中飾る地域
ルーツはまったく違いますが、伊勢地方以外にも、しめ縄を1年中飾る地域があります。
以下でご紹介します。
宮崎県・高千穂
しめ縄の起源となった「天岩戸隠れ」の神話。この「天岩戸」がある高千穂でも、1年中しめ縄が飾られています。
家の中にも神様がいて、1年中一緒に暮らしている感覚の現れだという説もありますが、よくわかっていません。
熊本県・天草
天草にも1年中しめ縄を飾る集落があります。1年中飾るようになった理由は、この地域は、江戸時代のキリスト教禁教時代に、隠れキリシタンも多く、踏み絵なども行われていた地域でした。
そのため、神道のしめ縄を飾っておけばキリシタンと疑われないだろうとキリシタンではない人たちが飾るようになり、それを真似てキリシタンの人々も飾るようになったのだと言われています。
この地域では、松の内をすぎると「どんどや」(どんど焼き)を行い、1年中飾ったしめ縄を燃やすそうです。
まとめ〜しめ飾りの風習は地域によって特色がある〜
日本ではお正月にはしめ飾りを玄関口に飾る風習がありますが、同じ風習でも地域によって細かな違いがあります。松の内も大きく分けて関東と関西では期間が違いますし、しめ飾りの形や縁起物の種類、どんど焼きの呼び方も異なります。今回お伝えした、しめ飾りを1年中飾る地域のような大きな違いでなくても、違いや特色を知ると、より地域の文化や風習に興味が持ててきませんか。