金毘羅信仰は、香川県の金刀比羅宮を中心とする信仰で、古くから海上交通を司る神として崇敬されてきました。
この記事では金毘羅信仰の祭神や歴史、今昔のこんぴら参りについて解説します。
目次
金毘羅信仰とは
金毘羅信仰は、香川県仲多度郡琴平町にある金刀比羅宮を中心とする信仰で、金刀比羅神社、琴平神社、金比羅神社と呼ばれる神社が全国に601社あり、全国神社祭祀祭礼総合調査(1990〜1995年)では15位の多さと言われています。古くから海上交通を司る神として人々の信仰を集めていました。
金刀比羅宮はもとはお寺だった
金刀比羅宮は、明治以前までは神と仏を兼ね備えた存在でした。
平安時代には琴平神社として信仰されていたそうですが、平安後期以降の神仏集合の時代になると真言宗松尾寺と合併して、金毘羅大権現となります。
しかし、明治の神仏判然令により「金刀比羅宮(ことひらぐう)」と改められ、本尊が金毘羅大権現であったのが、祭神を大物主命とする神社になりました。
別当職を務めていた寺院の多くが廃止され、唯一生き残った普門院松尾寺は本尊の金毘羅大権現と共に現在地に移ったのです。
金刀比羅宮の祭神
金刀比羅宮の祭神は、大物主命(おおものぬしのみこと)と崇徳天皇とされています。
大物主命は水神、豊穣、技芸などの守護神といわれています。
崇徳天皇は金刀比羅宮の境内にある白峰神社に祀られています。崇徳上皇は保元の乱(1156年)で後白河天皇との争いに敗れ、讃岐に配流され、長寛元(1163)年に象頭山松尾寺金光院に参籠しました。
配流から8年後に崩御した崇徳天皇は翌年の永万元(1165)年から合祀されました。これには御霊信仰の影響があり、恨みを残して崩御した崇徳上皇の祟りを畏れたためです。
金毘羅大権現とは
神仏習合時代の金刀比羅宮は「象頭山金毘羅大権現(ぞうずさんこんぴらだいごんげん)」と呼ばれていました。
金毘羅の源流は、ヒンドゥー教の神「クンビーラ」という、ガンジス川に住むワニを神格化した川神に由来し、海上交通や漁業の守り神としての性格を持ちます。
現在、金毘羅大権現は松尾寺にお祀りされていますので、こんぴら参りの際にはぜひお参りされてみてください。
江戸時代のこんぴら参り
江戸時代には伊勢神宮へのおかげ参りと共に金毘羅参りが流行しました。
流行に伴って四国には丸亀街道、高松街道、阿波街道などの「金毘羅街道」が整備され、全国から多くの参詣者で賑わったといわれています。
金毘羅講
金毘羅参りが盛んになったとはいえ、庶民にとっては経済的負担が大きかったので「金毘羅講」が結成されました。講のメンバーはお金を出し合い積み立て、交代で選出された代表者が金毘羅参りをするというものでした。
こんぴら狗(いぬ)・流し樽
金毘羅講以外にもこんぴら狗や流し樽といったユニークな代参の方法もありました。こんぴら狗は、犬の首に「こんぴら詣」と書いた札を下げて放ち、金毘羅参りに向かう人々が道中で見つけると、一緒に連れて行ってくれるというものです。
また、流し樽(舟)は賽銭や初穂をいれた樽や桶を海に流し、これを拾った漁師や船乗りが代わりに参詣にいったというものです。代参した者にもご利益があると信じられていたそうです。
天狗信仰
金毘羅権現の使いは天狗とされています。
江戸時代になると、天狗の面を背負った白装束の金毘羅道者が、全国を巡って金毘羅信仰を広めました。そのため金毘羅参りの際に天狗の面を背負う習俗も生まれたそうです。
現代のこんぴら参り
現代でもこんぴら参りは人気があります。見どころや名物をご紹介します。
こんぴら参りの見どころ
金刀比羅宮の名物ともいえる石段。表参道から御本宮までは785段、さらに奥社までは1368段を登らなければならず、登り切ったところからの絶景も楽しみのひとつです。
こんぴら参りをする際は、お土産屋や軽食屋でにぎわう表参道からスタート。表参道にあるお店では杖を貸してもらえます。
365段登ったところにある立派な大門をくぐり、書院では江戸時代の絵師円山応挙の襖絵などが見られます。
最後の石段「御前4段坂」を登ると金刀比羅宮御本宮に到着。ここからの眺めは絶景で、「讃岐富士」と呼ばれる飯野山と、晴れていれば瀬戸大橋までが望めるそうです。
ご本宮からさらに583段登ると「奥社・厳魂(いづたま)神社」があります。さらに崇徳天皇が祀られている白峰神社もあります。白峰神社は朱色が美しく、秋には紅葉が楽しめるスポットでもあります。
五人百姓・お守り
大門を抜けたところに、5つの大きな白い傘がたち、この傘の下で売られているのが名物の「加美代飴」です。五人百姓とは宮内で商いが許された特別な五家のことで、5家の世帯主は現在も神事に参加しているそうです。
加美代飴は、砂糖、水飴、柚子油から作られたシンプルな飴で、付属の金色のハンマーで割って食べます。
こんぴら参りのお守りといえば、幸福の黄色いお守り。鬱金で染め上げた布で作られているそうです。さらに登った先の奥社でしかいただけない天狗のお守りもあります。
観光地として人気のある金刀比羅宮ですが、現在も漁業関係者や船員、海上自衛隊員の信仰を集めています。
金刀比羅宮のしめ縄
金刀比羅宮のしめ縄は、稲わらのみで編まれたもので「金刀比羅宮大注連縄会」が奉納しています。
御本宮の拝殿正面のしめ縄は長さ約10m、直径約40cmで、大勢の会員が2日かけて作り、完成したしめ縄を大勢で担いで308段の石段を登り、取り付けられるそうです。
まとめ〜こんぴら参りに出かけてみませんか〜
金刀比羅宮の祭神などが明治以前と以後で大きく変わったこと、江戸時代にこんぴら参りが盛んだったこと、現在も人々がこんぴら参りに訪れていることがわかりました。
歴史や絶景、名物などが盛りだくさんのこんぴら参り、一度訪れてみたいですね。