干支のひとつ申年。「申」は「去る」に通じ、厄除けや魔除けの象徴とされ、神社では神の使いとしても崇められています。この記事では、申年の意味や、猿と神様との関係、猿にまつわる神社についてご紹介します。
猿と日本人の歴史
縄文時代の遺跡から、猿の骨や猿の土偶が出土していることから、猿と日本人との関わりは非常に古い時代に遡ります。猿は食用や薬として利用されたほか、牛や馬の周りや厩の中で猿を飼う「厩猿(うまやさる)」という形で、人々の生活に深く関わっていました。厩猿の風習は、猿は馬の守り神であり、馬の病気を防ぎ、健康を守ると考えられていたためで、武士階級にも広まり、大名屋敷などでは厩で猿を舞わせる習慣も見られました。
申年の意味
干支はもともと中国で生まれたもので、動物の意味は後から付けられたものです。
申年の「申」という字は、もともと「雷」を表す象形文字で、稲妻が空から落ちる様子を表しています。善悪双方の意味を含み、縦横無尽に何かが生まれ、成長するということを意味します。そのため、申年はさまざまなものが形になっていく年であるとも言われます。
また、「さる」は「去る」に通じることから、病気や不幸が去っていくという意味で「魔除け」の象徴とされてきました。さらに、サルは群れを大切にし、安産であることから「家内安全」「子授け」「商売繁盛」「良縁」などのご利益があるとも信じられています。
猿と神仏との関係
猿は昔から「山の賢者」「山神の使い」とされ、知恵があり賢い動物というイメージがありました。特に、古くから日吉神(ひよしのかみ)の使いとされており、日の出とともに騒ぎ出す猿は、太陽の神の使者であると考えられたのです。
猿に関係する民間信仰で忘れてはならないのが、庚申信仰です。
庚申信仰とは、干支十二支の組み合わせの庚申(かのえさる)の日に集まって庚申様をお祈りし、おもに会食し夜を共にする信仰です。室町時代後期以降、山王信仰と庚申信仰が結びつき、庚申塔が建てられ、山王の神使いである猿の姿を描くものが多くなったといいます。
また、申年の守り本尊は「大日如来」とされています。大日如来像が有名なお寺は全国に数多くあり、例えば、東寺講堂像(京都)、金剛峯寺(和歌山)、円成寺(奈良)、鑁阿寺(栃木県)などが挙げられます。
猿にまつわる神社4選
ここでは猿にまつわる神社を4社ご紹介します。日吉社や猿田彦神社は日本全国にありますので、お近くの神社を探してみるのもいいかもしれません。
日吉大社(滋賀県大津市)
日吉大社では、室町時代から境内で猿が飼われていたと伝えられており、現在も「神猿舎(しんえんしゃ)」で猿に会うことができます。日吉大社の猿は「神猿(まさる)」と呼ばれ、「魔が去る」「勝る」に通じる縁起の良い猿とされています。
境内には、西本宮楼門の「棟持猿(むなもちざる)」やかえるまたの猿の装飾、「猿柿(さるがき)」と呼ばれる渋柿、猿の形をした「猿の霊石」など、多くの猿に関連するものがあります。
日枝神社(東京都千代田区)
日枝神社は千代田区永田町に鎮座し、江戸城の鎮守として知られます。厄除け、安産、縁結びなどのご利益があります。「神猿(まさる)」と呼ばれる猿の像が特徴で、魔が去る(まさる)、勝る(まさる)に通じ、厄除けや勝運の象徴とされています。境内には夫婦猿の像もあり、良縁や夫婦円満を願う参拝者も多く訪れます。
猿田彦神社(福岡県福岡市)
猿田彦神社は天照大神の命により天孫降臨したニニギノミコトを道案内した猿田彦大神を祀っています。60日ごとの庚申(かのえさる)の日に祭りを行い、猿にちなんで「災難が去って、幸福が訪れる」とされています。
毎年始めの庚申の日には「初庚申大祭」が開催され、多くの参拝者でにぎわいます。授与品の猿面を玄関にかけることで「魔が去る」と伝えられており、1年を安寧に過ごすことができるといわれています。
日光東照宮(栃木県日光市)
日光東照宮は徳川家康を祀る神社で、世界遺産にも登録されており、境内には豪華絢爛な国宝や重要文化財が多数存在しています。
特に有名なのが、神厩舎(しんきゅうしゃ)にある「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻です。この三猿を含め、神厩舎には猿の彫刻が8面あり、人間の生涯を風刺的に描いているという説もあります。猿は古くから魔除けや安産の象徴とされ、東照宮では神の使いとして大切にされています。
まとめ|猿にまつわる神社を探してみよう
猿は古くから日本人と深い関わりを持つ動物であり、「申」の文字や猿という動物そのものに、さまざまな意味が込められてきました。魔除け、勝運、家内安全、良縁など、多くのご利益があるとされ、神の使いとして大切にされている神社も多くあります。申年に限らず、猿にまつわる神社を訪れることで、新たな発見やご利益があるかもしれません。