新しい建物を建てる際に欠かせない儀式「地鎮祭」。地鎮祭は土地の神様に敬意をし、工事や新しい家の無事を祈る大切な行事です。今回は、地鎮祭の意味や由来、そこで使われるしめ縄や紙垂について詳しくご紹介します。地鎮祭や儀式に使われる神具の意味を知ることで、より理解が深まり、家を建てることへの気持ちも高まるでしょう。ぜひ参考にしてください。
地鎮祭とは?
地鎮祭は、建築工事の着工前に行われる神道の儀式です。土地の神様や周辺の神々に対して許しを得るとともに、土地や建物が丈夫でその場所に永くいられることや工事の無事を祈願する重要な行事です。
地鎮祭は、一般的に以下のような流れで行われます。
・手水
水で手を洗い心身を清める
・修祓(しゅばつ)の儀
参加者や御供物を祓い清める
・降神(こうしん)の儀
その土地の神様や氏神様をお迎えする
・献饌(けんせん)の儀
祭壇に、米、酒、魚などの神様のお食事である神饌をお供えする
・祝詞奏上(のりとそうじょう)
神様への報告や工事の安全祈願
・四方祓(しほうはらい)
土地の四隅を祓い清める
・地鎮の儀(鍬入れの儀)
施主が盛砂を掘る鍬入れを行い、鎮物(しずめもの)を埋納
・玉串奉奠(たまぐしほうてん)
神様に玉串を捧げる
・撒饌(てっせん)の儀
御供物を下げる
・昇神(しょうしん)の儀
神様をお送りする
・直会(なおらい)
参列者でお下げした神饌をいただく
準備が大変と思うかもしれませんが、一般的には、ハウスメーカーや神主さんが用意してくれる場合が多く、施主はお供え物と初穂料(玉串料)、必要であれば直会の際の器やご近所の方への手土産を用意すればよいケースが多いようです。
地鎮祭の由来
地鎮祭の起源は古く、『日本書紀』にもその記述が見られます。神武天皇が橿原に宮殿を建てる際に「坐摩神(いかすりのかみ)」を祀ったことや持統天皇5年(691年)には「使者を遣して、新益京を地鎮らしむ」という記録があります。
地鎮祭が建築儀礼として人々に定着したのは、江戸時代後期頃からと言われています。
時代とともに、地鎮祭の形式や内容は変化してきましたが、土地の神様を敬い、安全を祈願するという基本的な考え方は今も変わっていません。地鎮祭の流れを先述しましたが、ひとつひとつの所作を見ると、日本人の自然や土地の神様への信仰心があらわれていることが分かります。
地鎮祭に使うしめ縄は?
地鎮祭では準備段階で敷地の中央に「祭壇」を作ります。そこで登場するのがしめ縄です。
祭壇の四方に「忌竹(いみだけ)」を4本立てて、竹の上部約2mの高さで北東の隅より時計回りで、祭壇を囲むように張られます。1本のしめ縄を途中で切れることなく張るのがポイントですので、長さには気をつけましょう。地鎮祭に使うしめ縄を「左縄」といい、太さは6mm以上のものがいいとされています。
地鎮祭に使う紙垂
地鎮祭や神社のしめ縄から下がっている白い紙を「紙垂(しで)」といい、しめ縄の縄目に差し込む形でつけます。紙垂は祭壇から見て表側を神様へ向けるようにつけます。
紙垂の由来
紙垂は「垂づ(しづ)」「しだれる」という意味があり。もともと紙ではなく、木綿(ゆう)が使われていました。
紙垂の形は、稲妻を表しており、神様のいる神聖な場所へ入り込んでくる邪悪なものを追い払う意味があります。
紙垂の由来も、しめ縄と同じ「天岩戸神話」にあります。天岩戸に閉じこもった天照大神を誘い出す際に、神々が榊の枝に木綿の布と麻の布を垂らしたことがはじまりです。
地鎮祭の紙垂と神社の紙垂
地鎮祭の紙垂も神社の紙垂も基本的に同じ意味です。しめ縄に紙垂がついている場合、清浄を保つ意味合いが強くなります。一方、お供え物という意味を持つ紙垂もあり、御幣(幣束、幣・へいそく、ぬさ)と呼ばれます。この場合、2本の紙垂を竹や木の串にん挟みます。また、数多くの紙垂をつければ「祓串(はらえぐし)」というお祓いの際にふる道具になります。数多くの紙垂をふることで、空間を浄化し、悪いものを吸着する意味があります。
地鎮祭にも行われる「玉串奉奠(たまぐしほうてん)」の際に捧げられる玉串は榊の枝に紙垂をつけたものです。これは神様へのお供え物を意味します。
まとめ〜地鎮祭を行わない人も増えている?〜
地鎮祭は建築物を建てる際に大切な儀式だとご紹介しましたが、その必要性を感じない方もいます。もちろんやるかどうかは施主の自由ですが、家を建てるという大きなことに対するさまざまな不安を、地鎮祭によって安心に変えることもできますし、家を立ててくれる方々と集まれる場でもあります。迷ったら工務店や神社に相談してみてはいかがでしょうか。