氏子とは氏神神社がお守りする一定地域に住む人のことをいいますが、かつては全ての住民が氏子となっていた時代がありました。社会の変化に伴い神社や氏子・氏子総代への認識も変化し、自治会との関係も見直され続けてきました。この記事では、氏子や氏子総代と自治会、その歴史や関係について説明していきます。
氏子とは
氏子とは、氏神神社の氏神様がお守りする地域に住み、氏神様を信仰している人のことをいいます。氏神信仰はもともとは血縁集団をお守りする神様でしたが、次第に鎮守神や産土神などと融合し、地域の守り神様のような位置づけとなりました。
一定区域に住んでいる住民が自治会員であると同時に氏子と見なされる地域もあり、自治会員の中から氏子総代が選ばれるなど地域によって境界線が曖昧なところもあるようです。
氏子総代とは
氏子総代は氏神様を信仰する氏子集団から選ばれた代表者であり、神社本庁の規定によると、神職への協力と氏子崇敬者の世話をする人物です。神社の氏子・崇敬者の中の徳望が篤い人物の中から宮司(または責任役員)が選出し任命します。
氏子総代の仕事は、神社の神職と共に神社の維持や運営、継承に勤めることで、お祭りや初詣などの準備、進行、後片付けなど、さまざまな仕事があります。
また、氏子総代になると氏子総代会に所属し、ルールや先例に基づいて運営をすることになります。神社が提出する届けなどには氏子総代の連署を必要としたり、宗教法人の責任役員は総代会によって選ばれたりと神社の運営に関して重要度の高い職なのです。
自治会(町内会)と神社の関係
現代の感覚で見ると、一見あまり関係のないように見える自治会や町内会と神社や氏子集団ですが、歴史的に見ると元は同じようなものだったことがわかります。土地に根付いた神社ですが、関係に変化が生じ始めたのは高度経済成長期以降のことでした。
昔は神社と村は一体だった
室町時代ごろから、村人たちは地縁的な結合を強め、集団で住み、協力して村の運営を進めるようになります。村人たちのつながりは、神社での各種行事を取り仕切る宮座が中核となって進められていました。
当時から神社を中心に年中行事である祭りや講が行われており、村人同士の話し合いや一揆の際の儀式も神社の境内で主に行われていました。神社は村人のつながりの中心だったのです。何より村の有力者が神社の話し合いや行事を取り仕切る宮座から登場していったというのが興味深いですね。
江戸時代になると、地域に根差した氏神様は大衆信仰として、季節の祭りを行ったり、人々が集まる場所として機能していました。大きな神社以外は寺院や僧侶または、村人たち(氏子たち)が共同で管理していたと言われており、お祭りの際には神主のいない神社は、他社の神主や山伏、氏子が交代で神主を勤めるなどして維持されていました。
高度経済成長期以降の変化
このような地域社会と神社との関係が変化し始めたのは、高度経済成長のころからでした。主に都市近郊農村の宅地開発が進み、古くから住んでいる住民と新しく住み始めた住民が混ざり合う社会へとなっていきます。また市町村合併や区域の再編成により、地名が変わるなどして住民のアイデンティティや統合意識にも変化が生まれていきました。
宅地開発が進むことで多様な年齢層や経済格差のある世帯が混在し、神社や祭祀に対する考え方や参加の仕方も多様化していきます。氏子地域に住む人は自動的に氏子になるという時代には、自治会や町内会も慣例的に祭りなど神社の行事に参加していましたが、次第に祭祀と自治会を分離させようとする動きが出てきました。神社の寄付や費用を町内会費と一緒に徴収することに関してトラブルになった事例もあります。
ただ信教の自由はあれど、地域のお祭りは伝統行事として、歴史文化的な価値を持ち、地域の歴史を学び、人々の親睦を深める意義もあります。宗教行事の部分を自治会の行事から切り離しつつもお祭りなどの伝統をいかに維持していくかが今後の全国の課題とされています。
まとめ〜氏子総代(神社)と自治会の関係も変化を求められている〜
もともとは神社を中心に人々が集まり、村を作ってきましたが、高度経済成長期以後の地域社会の変化により、氏子・氏子総代や神社と自治会の関係も見直しの動きが見られて今に至ります。ただ、特に信仰はないという人でも初詣や七五三、厄除けなどのお参り、祭りに参加するなどしている場合が多く、神社・氏子・氏子総代と自治会との関係は見直しつつも、神社を維持して後世に伝えていくのは大切なことだという考えも根強くあります。
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